木代走落神社には、神宝として一対の古面が伝わっています。今回、この古面を調査したところ、今から400年以上前の室町時代のき貴重な古面であることがわかりました。この古面は、町にとって文化的価値が高いと認められますので、令和6年2月28日付けで町指定文化財として指定しました。
名 称 走落神社古面(鼻高面)
種 別 有形文化財(有形民俗文化財)
時 代 室町時代
形態・員数 古 面 1対
概 要 法 量 赤色面 縦長23センチメートル、横巾16.5センチメートル、面高(厚み)18.5センチメートル
青色面 縦長24.5センチメートル、横巾16.5センチメートル、面高(厚み)12.5センチメートル
彩色表現 赤色面 下地白色、その上を赤色に彩色する
青色面 下地白色、その上を緑青色に彩色する
二面とも口髭、頬髭、眉毛の表現が明確に残る
形態表現 目は丸く繰りぬかれており、裏面の鼻にあたる部分に息抜き穴と思われる二穴があけられている。
両側面には装着のためのものと思われる紐通し穴があけられている。
材 質 木製
記 銘 裏面に墨書がある
赤色面 額部分に「梵字(ア)」 顎部分に「花押」
右側辺に「永禄二年巳未八月吉日」(1559年)、左側辺に「摂州能勢川尻別當皆乗作」
※「巳未」は「己未」(つちのとひつじ)を意味するものと考えられる。
青色面 額部分に「梵字(ウン)」 顎部分に「花押」
右側辺に「永禄二年巳未八月吉日」(1559)、左側辺に「摂州能勢川尻別當皆乗作」
※「巳未」は「己未」(つちのとひつじ)を意味するものと考えられる。
作 者 川尻別當皆乗
所 有 者 走落神社
所 在 地 木代1556番地
赤色面 青色面
解 説
本資料は川尻地区旧氷川神社に伝わってきた一対の古面で、明治四〇年の神社合祀により走落神社に移され、走落神社の神宝として伝えられてきた。資料は彩色が鮮やかに残り、口髭、頬髭、眉毛などの表現も明確に残っている。製作当初からのものかどうかは明確ではないが、この彩色が永禄年間のものとすれば希少な遺存例となる。二面とも下地には白地を用い、赤色面は赤色を青色面は緑青色を彩色している。
面の頭頂のかたちは丸く作られ、しわも下たるみで表現されている。目は丸く刳り抜かれ、鼻は真っすぐに付けられている。鼻が上に反るのが天狗面系、下に下がるのが伎楽面系であるが、その中間的なかたちをとる。この形態から鼻高面と呼称される系統のものに入る。
口の表現では、片方(赤色面)は開け、もう一方(青色面)は閉じている。つまり、一対のものである。これは裏面の墨書でも確認され、口を開けた赤色面は梵字で「ア」、口を閉じた青色面は梵字で「ウン」と記されており、一対の阿吽面であり、陰陽面でもある。鼻の高さに差がつけられているのも、これが一対のものであることの表現である。
裏面には墨書が残されている。額部分に記された梵字については前述したが、顎付近には製作者と思われる花押が記されている。 この花押は赤色面には明瞭に残り、青色面は墨が薄れてやや判読し難いが、同じ花押が入っていることが確認できる。
墨書の他の部分の字体も二面とも同じものとみられることから、同一人物の手によって記されたものと考えられる。これらの情報から、この面が同一時期に同一人によって作られたもので、さらに、製作段階で阿吽一対の面と意図して作られたものであることがわかる。作者は「川尻別当皆乗」と記されているが、別当という職、皆乗という人物の詳細は不明である。
現在、二面は木箱にて保管されているが、この木箱には「永禄己未(つちのとひつじ)八月吉日摂州能勢郡川尻別當皆乗作」と古面の裏面墨書から写された情報とともに「明治四拾年十月弐日本村大字川尻村元村社氷川神社ヨリ移ス 村社走落神社所蔵」と記されており、この古面の経歴情報が記されている。
面の材質は木製であるが、樹種は不明。二面とも下辺部に損傷がみられるが、損傷しやすい鼻の先端などに全く擦れなどの使用痕跡がみられないことから、これらの損傷は使用によるものではなく、経年劣化や保管状態に由来するものと考えられる。面の用途であるが、関連文書を欠くため、正確ところは不詳であるが、他地区の一対で使用する用途例から、神楽もしくは追儺系、田植え神事等での用途が推測される。なお、この類の面は、鬼面、神楽面、鬼神面、鼻高面とさまざまな呼び方をされるが、地元で呼び名が伝わっていないので、その形態からの名称で鼻高面と呼ぶのが適当であろう。
これらのように、この一対の面は、製作年代が明らかであって、人物の詳細は不詳であるが作者名も判明しており、さらに、最初の所在地が川尻氷川神社で明治合祀の際に走落神社に移されたという由来も明確である等、多くの貴重な情報をもっている。面の造形はやや荒々しいしいが、他に類例をみない独特の表情が作り出されており、当地域の地方色を表すものとして評価できる。
鼻高系の面は長野県北部を中心として日本各地に残るが、近畿地方では類例は少なく、また、遺存例の多くは江戸時代のもので永禄年間(1558~1570)という古いものは少ない。これらの状況のなかで、一対のものがほとんど完形で残っていることは貴重な例となる。また、当初からのものかどうかは不明だが、彩色が鮮やかに残っており、これも工芸品として文化財的な価値が高いものとなる。
裏面(赤色面) 裏面(青色面)
二面(下より) 所蔵箱蓋