吉川村古地図が町指定文化財に指定されました。

  吉川自治会には、江戸時代から明治時代にわたる多くの古地図が伝わっています。今回、この古地図のうち「元禄年間山論境界絵図」を調査したところ、江戸時代の貴重な広域的な絵図であることがわかりました。当絵図は、本町にとって特に文化財的価値が高いと認められますので、令和5年7月11日豊能町指定文化財に指定しました。 

名   称    元禄元年山論境界絵図                                       

形態・員数    歴史資料 1幅                                               

時   代    江戸時代(元禄元年)                                          

作   者    絵 師 日置清左衛門                                                  

法   量    縦 107.0センチメートル × 横 165.0センチメートル

形   状    (表面)彩色絵図  (裏面)裏書き文

品質構造     表裏、一枚ものの和紙を2枚貼り合わせている。

保存状態                                                          折りたたんで保存されていたため、折り目に数多くの破損がみられたので、必要最小限の補修を行った。現状では絵図の内容、裏書き等が明瞭に判別される状態となっている。

裏書き文                                                                 攝州豊嶋郡細郷六ケ村、川邊郡横山村与、同國豊嶋郡下止々呂美村山論之事、細郷よ里ハ當村内山、豊嶋郡にて拾石弐斗四升七合川邊郡東長尾山にて五石弐斗年貢出之、從先規七ケ村立合柴草刈来由申之、下止々呂美よ里ハ東長尾山ハ豊嶋郡下止々呂美領無紛由申ニ付、度々僉儀之上、此度為検使石川源五左衛門、川副新右衛門、万年長十郎、被差遣之遂糺明之處、寛文元年九月十四日之裁判書に、長尾山之儀、以國繪圖被相改之處、豊嶋郡無紛由在之、其上彼山内に下止々呂美之古田数多有之上者、細郷申分不届候、然上ハ先年於江戸裁許之通、東ハ風口黒石、堀切、地はんか石江見通し、ミなき里の尾境、土器割長尾大道を限、北方下止々呂美村山たるべし、細郷よ里申五石弐斗之年貢山地所令穿鑿之處、細郷之村々山支配為村限之處、慈薗寺境内与申山壱ケ所、七ケ村入相場にて年貢ハ内山手米拾石弐斗四升七合之内たるよし、難申難立候、向後五石弐斗之山年貢、右慈薗寺境内与申山より可相立之、仍為後鑑繪圖之表領境墨引加印判、双方江下置之条、此旨不可違失者也    

     元禄元戊辰年十一月          志摩 〇 安藝 〇 大和 □

                            摂州豊嶋郡  下止々呂美村   同国能勢郡  吉川村庄屋惣百姓                          

伝   来    旧吉川村の村有文書として伝えられてきた。

備   考    下止々呂美村に正本と思われる絵図が伝わっている。

解   説                                                                               この絵図は元禄年間の山論の境界を裁定する資料である。絵図に表わされた範囲は広く、北は能勢町野間地区、東は箕面市勝尾寺、南は池田市畑地区や箕面市新稲地区、西は猪名川までが表されている。絵図には村名、河川名、街道名が詳細に示されているともに、寺社や集落が表示されている。

 本町区域では、吉川村、高山村、川尻村、余野村、野間口村の村表示、川尻川、初谷川、猿坂川が記載され、本町を縦貫する街道として長尾大道、亀山道が表されている。さらに、高代寺、吉川八幡神社と思われる寺社建物が記載されている。

絵図の黒の太線部分がこの絵図の主たるところで、この黒線が細郷7ヶ村、横山村と下止々呂美村との山境界を示すものである。現在の位置では、黒線の中央部の「堀切、地はんか石」の地点は新名神高速道路の止々呂美村インター付近、黒線西端の長尾大道に接する部分の「慈薗寺」の地点には現在でも石燈籠等の寺院遺構が残る地点に相当する。この寺院は明治時代に池田市吉田町に「慈恩寺」として移転されている。

裏書きにある志摩、安藝、大和とは、職名でそれぞれ京都町奉行井上志摩守、京都町奉行前田安藝守、京都所司代の内藤大和守である。元禄当時は、畿内の幕府領の裁判は京都奉行所において行われていた。

なお、この絵図が吉川村に伝わる経緯としては次のことが考えられる。この絵図の原本は裏書きのとおり当事者である細郷7ヶ村、横山村と下止々呂美村の双方に下されたものであろう。絵図によれば、黒線境界北側に「下止々呂美村田地」に並んで「吉川村田地」が記載されており、両者は入会地を共有するなどの特別な関係にあったと考えられる。下止々呂美村としては吉川村と情報を共有する必要があったため、この絵図の写しを吉川村に交わしたものと考えられる。

表面

吉川古地図表(新)

 裏面

吉川古地図裏(新)                         

 

 

 

 

 

 

 

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