文書群名 | 「あの日の学び舎」写真コレクション |
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点数 | 49 |
伝来地 | 豊能郡豊能町 |
組織歴・履歴 |
1872年(明治5年)の「学制」発布により、1875年(明治8年)木代村800番地朝川寺内に第3大学区第4中学区11大学第4番小学校が創立。5ヶ村(木代・切畑・余野・川尻・野間口)の子どもたちが通学した。1874年(明治7年)には、字九十田の「郷蔵」(領主への納米貯蔵庫)だった場所を利用して、吉川小学校の前身となる第3大学区第4中学校区第11大区2小区第6番小学校が創立。その後、1947年(昭和22年)、新学制により、東能勢村立中学校(東能勢村余野)、吉川村立中学校(吉川村)が設立される。 1977年(昭和52年)4月の町制施行により、豊能町立東能勢小学校、吉川小学校、光風台小学校、東能勢中学校、吉川中学校と名称変更され、1982年(昭和57年)には、人口増加により光風台小学校から分離する形で東ときわ台小学校が開校。 2022年(令和4年)、町が過疎地域として指定され、生徒数も減少。2026年(令和8年)、小学校と中学校を統廃合し義務教育学校(小中一貫校)を開校予定。東能勢中学校、吉川中学校は閉校となる。 |
内容 | 本文書群は、学校閉校日の様子を豊能町職員が撮影した写真資料で構成される。2025年4月時点の資料構成は写真資料49点(すべてボーンデジタル)。 |
論文・翻刻 | |
関係地域 | 豊能郡 |
キーワード | 行政資料/学校/コレクション |
文書の年代 | 2024年 |
利用条件 | 「とよのおもいでアーカイブ」にて公開 |
「あの日の学び舎」コレクション目録
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