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豊能町の概要

とよのってどんなところ?

現在の豊能町域で人々が生活しはじめたのは、川尻遺跡等の調査から一万年以上前のまだ土器が使われていなかった旧石器時代からと推定されます。

町域の東部である旧東能勢村は、伝説によると、12世紀の初め貝川三位長乗という人が一族36人を率いて木代に移り住み、ここを拠点に開拓したのが始まりといわれていますが、最近の発掘調査で、奈良時代にはすでに人々が生活していたことが明らかになってきました。中世には木代庄があり、14,5世紀ごろには、木代庄に接して余野、河尻庄もあったようです。近世には余野、野間口、川尻、木代、切畑の各村になり、主として幕府領(高槻藩預かり地)や旗本(能勢氏)の知行地として続き、近代を迎えました。
町域の西部である旧吉川村は、中世は源満仲を祖とする多田源氏の支配地であったといわれ、近世には主として幕府領として続き、幕末には高槻藩預かり地となり、近代を迎えました。

明治22年(1889)町村制の施行で、東部地域の5か村が合併して東能勢村となり、吉川は吉川村となりました。昭和30年(1955)町村合併促進法により、東能勢村は茨木市高山を編入、翌31年9月には吉川村と東能勢村が合体合併して新しい東能勢村となりました。さらに33年4月には京都府亀岡市の牧、寺田地区を編入しました。都市郊外ということもあり、宅地開発に伴って人口が急増し、昭和52年、新生「豊能町」として発足。平成29年には、町制施行40周年を迎えます。

『高山マリアの墓』の画像

このような歴史をもつ豊能町には、史跡や石造美術がいたるところに見うけられます。南部地域ではキリシタン大名として有名な高山右近ゆかりの高山地区があり、マリアの墓、高札場の地蔵石仏など、キリシタン関係だといわれている遺物が遺されています。東部の各地域では、鎌倉時代から江戸時代にかけての素晴らしい石造美術が見られ、自然石にほとんど手を加えていない、野趣豊かな石仏が数多く見られます。西部地域では、吉川高代寺と妙見山参道沿いに、すぐれた石造物が散在しています。高代寺には中世の五輪塔が並び、参道には江戸期の味わいをもった六地蔵が建っています。

『高代寺五輪塔』の画像

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  • 【公開日】2015年2月17日
  • 【更新日】2017年5月19日
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