豊能町町勢要覧
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キリシタン国外追放令により、マニラへと追放になった右近一族。マニラ市民の熱烈な歓迎を受けたが、船旅の疲れや慣れない気候のため、右近は病にかかり、マニラ到着から約40日後に天へ召された。バテレン追放令で「領土か、信仰か」と豊臣秀吉に迫られた際、右近は断固として信仰を捨てなかったため、大名の地位を失った。高山右近没後400年を記念し、高山コミュニティセンター「右近の郷」に、高山右近と妻・志野の像が建立。町内在住の彫刻家によって作成された。国内外から約1万人もの人が参加し、右近を福者とする列福式が執り行われた。(大阪城ホール)豊能町内には、「高山マリアの墓」や「高山高札場の地蔵」など、キリシタン関連の文化財が今も大切に残されている。21歳平成27年 (2015) 右近の郷グラウンドに 高山右近夫婦石像が建立平成28年 (2016) バチカンより福者の 認定を受ける平成29年 (2017) 列福式が執り行われる33歳35歳36歳天正元年 (1573) 高槻城主となる天正13年 (1585) 明石6万石に移封天正15年 (1587) バテレン追放令が下り、 小西行長によって 小豆島に匿(かくま)われる天正16年 (1588) 前田利家、右近を 加賀に客将として招く47歳57歳62歳63歳慶長4年 (1599) 前田利家没  金沢城修築慶長14年 (1609) 前田利長の命を受け、 高岡城を築城慶長19年 (1614) 徳川家康により キリシタン国外追放令を受け、 長崎よりマニラへ元和元年 (1615) 2月4日没21

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